崩壊は止められない(大野病院事件その1)
こっちをしばらく書いていませんでしたが。。。。。
さて。
事件は、治療における医師の判断、手術法の選択にまで捜査当局が踏み込んだものとして注目されていた。
判決では、加藤医師が女性の癒着胎盤をはがした判断と行為について「胎盤をはがさずに子宮摘出に移れば、大量出血は回避できた」としながらも、「胎盤をはがしはじめたら、継続するのが標準的医療。はがすのを中止しなかった場合でも具体的な危険性は証明されていない」と述べ、過失にあたらないとした。異状死の場合、死亡後24時間以内に警察へ届けなければならない医師法違反にも問えないとした。
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鈴木裁判長は「(検察側が証拠とする)一部の医学書と齟齬(そご)があるために、臨床現場で迅速な判断ができないのなら、医療現場に混乱を与える」と検察側の立証の甘さを指摘した。
判決要旨はココで。
この事件以後
日本各地の産婦人科の病院が
軒並み閉鎖されていったことは
ご存じのことだと思う。
だれだって、
犯罪者になりたくない。
しかもそれが、たとえば禁止薬品を投与したりだとか、
自身の都合の良いようにカルテを改ざんした、とかなら
まだ、悪いことと取られても
しょうがないかもしれない。
ところが
今回のように、患者を救おうとして救えなかったときに
結果として救えなかったから、お前は犯罪者なのだ
と言われるのならば、
最初から救わなければいい。
と、なるに決まっている。
無理して産婦人科の医者なんて、だれがなるか!
・福島大野病院事件を通して、遺族の納得・満足は得られるのか? - うろうろドクター - Yahoo!ブログ
一方、遺族は裁判で『真実』を得られたのでしょうか?
第12回公判での、ご遺族の発言の一部です。
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(女性の父)
「娘は大野病院でなければ、亡くならなかったと思います。
なぜ事故が起きたのか、事故を防ぐことはできなかったのでしょうか。
(真相究明に当たる)警察の関係者には感謝しています」「『(癒着胎盤はきわめてまれで、予見は難しい)だから助からなかった』といわれるのは、
娘の人権を否定し、誹謗中傷するもの」(女性の夫)
「ミスなかったなら、なぜ妻は死んだのか」「(結果が悪かった)責任を(患者の身体状況に)転嫁しないでほしい。
何が欠けていたのか、なにがミスだったのかを厳粛に受け止めてほしい」「弁護側は、医師の処置には問題はなかったというが、
問題がないならなぜ妻は亡くなったのか。
人間の体はさまざまというが、それに対応するのが医師の仕事だ。
分娩室に入るまで健康だった妻はどうして亡くなったのか。
病院は不測の事態のための設備を整えているはず。
ということは、ミスが起きたのは医師の責任だ」「自分の行動、言動に責任を取ってください。
言い訳しても一人の人生が変えるわけではありません。
一人前の大人として、しっかり責任を取ってください」「私は、子どもと妻のために、医師の責任を追及する。
責任を取ってほしい。取ってもらいます」http://obgy.typepad.jp/blog/2008/01/12-e3ee.html
http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/20656194.html
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仰ることは、ごもっともです。
「妻が死んだ責任を取って欲しい」
遺族にとっては当然の心境だと思います。
しかし、これら答えは裁判という場で見つかったのでしょうか?
明日の判決で被告に禁固刑が出たからといって、遺族の納得・満足が得られるのでしょうか?
まして無罪判決が出ようものなら、遺族はその怒りを何所に向ければ良いのでしょうか?刑事裁判は本当に不毛です。
裁判は提出された証拠によって刑罰を決める場所であり、(遺族の求める)真相は決して解りません。
刑事罰は遺族の恨みを晴らす以外の効果は無いと私は考えますし、裁判結果によってはそれさえも果たせません。
そして、刑事罰に『医療事故の再発防止』や『医療の安全向上』の効果はありません。
言うまでもないことですが、
取調べを受け公判に出廷し、有罪判決を受ける可能性のある医療者の苦痛は絶大です。
紫色の顔の友達を助けたい先生の刑事裁判の傍聴に何度か行きましたが、刑事裁判の不毛さを強くするばかりです…
遺族の感情は分かるが、
いわゆる刑事訴訟法上の「犯罪」にあたるのか?
だとしたら、善処した上で死なせた場合
医師は、どうしたらいいのか?
産婦人科だけでなく、外科なども含め、
それなりの医療行為を施したとしても
それが犯罪行為にあたるのか?
それでは、医者は
罪人なのか?
逮捕劇から2年半が経ちました。2年半の歳月は医療を取り巻く情勢を大きく変化させました。衝撃の2.18の時には
「この事件が有罪ならば日本の医療は崩壊する」
こういう思いが事件を知る医師の間を駆け巡りました。この事件の重要性は2年半を経過しても全く変りませんが、判決の衝撃の質は変わってきています。
「たとえこの事件が無罪でも日本の医療は崩壊する」
それでも被告産科医師が無罪であるとの願いは1mgも変っていません。
無罪なのか有罪なのか、無罪であっても判決文で割り箸訴訟のように「厳しく指摘」みたいな体裁を取るか取らないか。また有罪にしても全面有罪なのか、医師法21 条がらみで一部有罪みたいな形式にするのか。さらに無罪であれ有罪であれ控訴はどうなるか・・・すべては明日下されます。この事件には多くの医師が関心を寄せ、関心を寄せた大部分の医師は無罪を確信しています。確信の根拠は「なんとなく」の方もおられるかもしれませんが、多くは有志による裁判状況の詳細を読み、これについて加えられた解説も合わせて読んで無罪を確信しています。
無罪が確定しても、福島県警と福島地検を、罰してはならないと思います。
警察も検察も、その道のプロフェッショナルだからです。
警察は、プロとして犯罪捜査をし、逮捕しました。
検察も、プロとして捜査・起訴・立証をしました。
専門家が判断して、その場その場で正しいと思って行ったことです。
しかし、専門家も人間ですから、過ちを犯します。
だから、誤認逮捕も冤罪も、存在します。
誤認逮捕をした警察官を処罰し、結果として無罪の人を起訴した検察官を処罰してしまったら、
警察官も検察官も、萎縮してしまいます。
警察が凶悪犯の逮捕を躊躇して、第2第3の犯罪が起きたり、
検察が迷った挙句不起訴処分にして、真犯人が野放しにされたら、
日本の治安が守れなくなってしまいます。
そんな危険な国にしてはなりません。
やるべきことは、警察・検察の処罰ではなく、
何故このような逮捕・起訴・裁判がなされてしまったのか、 原因を究明し、
二度とこのようなことが繰り返されないように、対策を立てることです。
処罰は、過失の根絶につながるのではなく、萎縮につながるものだと思います。
警察と検察が、萎縮することなく仕事ができる世の中を、願って止みません。
警察記者クラブの尻馬に乗って
「白い巨塔」よろしく
面白おかしく取り上げていたマスコミは
ここまで「崩壊してしまった」ものを
これからどうしようとするのだろうか?
「松本サリン事件」の時もそうだったが、
マスコミの責任の取り方というのは、なんか違う気がする。
・内科開業医のお勉強日記 : 当たり前の判決:福島産科医えん罪事件
毎日新聞グループのスポニチ(スポーツニッポン(スポニチ)は株式会社毎日新聞社の子会社)に至ってはこうだ
↓「 帝王切開死させた産科医に無罪判決」
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20080820006.html↑
名誉毀損で訴えた方がよいのではないか!
TBSニュースのコメンテーター
「 医療事故は有罪になることが難しい」
↑
えん罪は有罪になりません
まっとうなメディア側意見もみられる・・・地方メディアの新聞占有率が高くなったというのもうなづける。在京メディアの偏向ぶりに辟易していたところであった。
医師が善意の医療行為を尽くしても命を救えないことはある。「それを注意義務違反と言われて罪に問われる時代になったのか」「難しいお産は別の病院に回してしまったほうがいい」−−全国の産科医の間に広がる事なかれ主義に歯止めをかけなければいけない。「萎縮医療」などという寂しい言葉は追い払わなければいけない。
「そもそもメディアにも責任がある」。医師たちの不信と戸惑いは、遺族感情に偏りがちな私たちの報道姿勢にも向いている。(憲)
http://www.47news.jp/47topics/2008/08/post_129.php
・・・医師側も身を引き締め、医療医学に研鑽をさらにせねばという気になる。
さて、
検察もプライドを掛けて
立証できると踏んだので裁判に持ち込んだのだろうから、
このまま控訴断念とは、ならないだろうなあ。
すると、
高裁、最高裁と行くとなると、
このあと10年は同じ事が続くと。
まあ、その間に
確実に医療は崩壊、ていうか、
医者は、眼科医と放射線科と心療内科だけになるんじゃないの?*1
*1:整形外科も訴訟リスク多そうだしww