umiusi45の日記

このブログはひなんじょです。 ひなんしているときは、ここにいます。

a process on the job


先日友人ら数人で話していた時の会話。


職場で若手が
会社を辞めようと思っている。
(理由はあったと思ったが、忘れてしまった)
そこへ
同僚がその若手に話しをしていた。
心底、親身になって
相手になって話を聞いていた。
それを見て、素晴らしいとも思ったし、
その人の身になって考えてあげることが出来なかったのが
残念でならない。


と言う話し。


そこでおいらは、こう言いました。
「それは、
気づいた人と、気づかなかった人の差ってだけの話しじゃないの?」



人の心に触れてあげるとか、
親身になってあげるとか
確かに大切な要素だと思う。
けど、


その「若手に対して親身になって話を聞いていた同僚」というひとは
たぶん
特別に「いいひと」とか言うよりは、
本人は、何も特別なことをしたと思っていないんじゃないかしら?


その時、その場所にいて
そうすることが当たり前だと思ったから
そうしただけの話だと思う。
特別に骨を折って話を聞いてやろうとか
その若手をどうこうしてやろうとか
思っていなかった話じゃないかい?


その人は
その人が今まで通ってきた道筋で
そういうことを目の当たりにしてきたので
特別なことをしているつもりがなくても
自然とそのようなことが出来たんだと思う。


いい大人になって、
社会に出て「勉強」以外で勉強することは
その場その場において、各人が最も良い方法で社会を運営していくこと
自分が、周りが、
本当に良い、と言う状態をその場で判断し
決断をしていくこと
だとおもう。


例を挙げれば、「自動車の運転」。
基本的な交通法規はもちろんあるけれど、
道路の状況だなんて朝と晩、晴天と雨天、閑散時と混雑時とでは
まさに「日々刻々」変わっていくので
その場に応じて瞬時に判断することが求められるます。
そして、それぞれの経験から
「こうした方がよいであろう」と言う方法が
適用されるわけです。


普段の生活においても
おなじだとおもいます。
その場に必要だと思ったから
その場で判断し、行動する。
その俊敏さが、
今求められているのかも。


まぁ、そういう人は、同性から見ても
格好よく見えるけどね。