umiusi45の日記

このブログはひなんじょです。 ひなんしているときは、ここにいます。

majesty in this land


何回か続けようと思っているところの、
「仕事論」の第5回目です。


今まで

  1. プロ倫に出会った。。。。。
  2. the way of life
  3. the meaning of life
  4. simple is sin


今回の話は
今までの話を読まなくても
大丈夫な話ですww


でも、
クリスチャン向け120%の話をしますので
クリスチャンでない人は
つまらないかもしれません。



先日から、この本の紹介をしてきました。


この本の職業に関する考察は
クリスチャンのわたくしめにとっては
もの凄くためになる本であるのですが、


どうしても
一つだけ受け入れられない点がありました。


先日、職業観で講演をした時には
その点はぼかして、
他の点を強調するように話したのですが、
他の方がその点をピックアップされたので
どうしても突っ込まざるを得なくなりました。



全ての人間は生まれながらに罪を犯したので
神の前に立つことが出来ない、


と、聖書には書いてあります。
ですので、
どの宗派だろうと、
この「全ての人間には罪がある」(いわゆる性悪説)というのは
教会に通っているクリスチャンの基本理念であります。



さて、
聖書の始めは
「はじめに神は天と地を造った」であります。


色々造ってみた神は
最後に人間を造り
「これはよい」と言われました。
ところがご存じ「失楽園」を起こした最初の人間により
我々人類は
生涯安楽の地に住むことなくさまようわけです。
(そう書いてあるからしょうがない)


失楽園」の前、
人間を造った時、
神は人間に
「産めよ増えよ、地に満ちよ。
全てのものを支配せよ」
とおっしゃいました。
これを神が人間にこの世の管理を任せた、
いわゆるこの世の「世界管理」を人間が負った状態である
とされています。

従って人間は
この地上のものを全て支配することが出来るのです。


支配で一番最初にしたことは
名前を付けることでした。
そうして人間は、
神の監督の下
この地上の動植物他全てを支配(管理)したのでした。


ところがご存じの通り、
へびにそそのかされた人間は
失楽園」となり、


神に背いた=神に頼らない(神を中心としない)生活を行う=神と違う方向に向く=罪を背負う


という生活となり
神からも
「あなたは一生苦しんで働かなければならない」
と、死刑にも近い宣告を受けてしまいました。


その後、
例の「ノアの方舟」の時代には
人間の罪はピークに達し
神は怒りの一撃を人類に与え
唯一救われたのはノアの家族だけでした。
というのは有名な話ですが、
その後そのノアの家族に
神は
「産めよ増えよ、地に満ちよ。」と
おっしゃいました。


あれ、
なんか抜けている。。。。。。


そう!
「全てのものを支配せよ」という
管理を任そう、という一文が
アダムの時とはちがうのです。


神から離れた=罪を身にまとった
人間には、神のものを管理することが出来なかったのです。
では、「全てのものを支配する」ことが出来るのは
誰なのか?


人間からその資格を奪い取ったヘビ=サタン(悪魔)は
現在、「空中の権威(この地上での権力)」を持っているとされています。(エペ2:2)



さて、問題。
話は元に戻る。
「世界管理」は現在、人間の元にあるのだろうか。


たとえば
「一日一善」でもいい、
「ボランティア」でもいい、
また、植林植樹でもいい、
そういった「良いこと」をすることは
罪に満ちて堕落していったこの世の人間にとって
神が創造した良い状態へと回復させるお手伝いとなる
だろうか?


見た目ではそうかもしれない。
しかし、
人間にとって都合のいいように管理すること=神の目にかなったこと
と言う方程式は、聖書の中では
あまり成り立たなかったし、
現実に、
経済活動にはつながっても
それがすなわち「創造の秩序の回復」につながるかどうかと言うのは
はなはだ疑問であります。


つまり、
わたくしめの結論としては
人間は堕落した結果、神からの世界管理は手元にない
と言うことなのであります。


だったら、
あの日のわたくしめの結論は、
一体なにを言っていたのか。




長くなったので、次回へ続く。