umiusi45の日記

このブログはひなんじょです。 ひなんしているときは、ここにいます。

天使でも、悪魔でもない

好き嫌いなんてものは、
もちろん誰でもあるわけで、
ことの本質は、
その好き嫌いを超越したところにあると思う。


少し沈静化したかしら?

"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか


はてなの匿名ダイアリー(平たく言って掲示板)に載っていた記事。


色々なところで色々なResがついているけど、

匿名だからこそ言えることだが、自分は「社会に出るのに不適切な人間は隔離されるべきだ」と考えている。


もちろん、社会に出る訓練をしてそれでもどうしようもないとわかった後に。

という言葉だけが独り歩きしていて、
問題の実態が見えていない気がする。



例えば、
老人ホームでの
高齢者の「性」の問題(なやみ)について、
聞いた事はないだろうか?


あまり聞いた事がないと思う。



なぜだろう?
ほんとうは、
何所の老人ホームでも
深刻な悩みになっているはずなのに。



歳を取れば、
性的欲求も減退し、
異性への関心意欲態度も
減退する。
などと言う神話を、
未だに信じている人はいないと思うけど、


思いたいけど、


世間では
「もう、おじいちゃんも、いい年なんだから!」
の一言で済ませようとしている。



「性」というものに対して、
恥ずかしいので茶化してばかりで
正面から向き合おうとしない
日本人の姿勢がそうさせるのではないだろうか。



さて、
本筋からそれました。


障害者(障がい者?)のことを
「罪の無い、天使のような」存在だと思っている人も、
また、
「生きていても何の役にも立たない」存在だと思っている人も、
現存することは
よく存じております。


しかし、
この両者の主張は真っ向から対立しているように見えて、
その根は一緒です。


「自分とは違う、特別な存在」


日本の神棚という文化も
コレに似ている気がします。


とりあえず、奉っておいておくから、
そこから動かないでくれよ(厄を起こすな)


♪みんなおなじ、いきてるから〜

といいつつ、
同じ種類の人間とは
思っていないんだと思う。
(トンボかオケラかアメンボだと思っている。。。。。汗)


たとえば、
米国のセサミストリートだと
車椅子の子でも、歩き方が明らかにおかしい子でも
同じようにみんなと楽しく活動している。
(まぁ、差別という言葉には
人一倍敏感にならざるを得ない、というお国柄の事情もあるのだろうが。)
ところが、
日本のセサミストリート
車椅子の子というのは、
どう見ても「お客様」扱い。
他の子が小学生高学年の行動を取っていても
その子だけ「幼稚園」レベルしかやらないし、やれない。


考え方の違い、
なんだろうけど。


ちょっと脱線。

堕胎をせずに、子供を養子縁組(特別養子)させて育てていこうと取り組みをされている
小さな命を守る会」の主事をなされている
水谷氏のブログに
出自のことで、
DJ赤坂泰彦の話として
このような記事があった。

 親父、おふくろ、そして僕と一家がそろった時、おふくろが親父に向かって言ったのです。「ねえ、お父さん、泰彦は隣りの町に友達がいて、時々家にまで遊びに行っているらしいのよ。それで、近所の人がいろんなことを言うのよ。あなたから、泰彦にもう、その友達のところに遊びに行かないように言ってやってください。」

 次の瞬間、僕は信じられないような光景を見ました。「お前は何と言うことを言うんだ」親父が、怒鳴って、おふくろを平手で打ったのです。親父がおふくろに手を上げたのを見たのは、僕の人生でこの一度限りでした。親父はおふくろに向かって言いました。

 「その子がどこの国の人だろうが、その子の親ががどんな職業だろうが、そんなことは関係ない。泰彦の友達なのだから仲良くすればいいんだ。泰彦がその子の家に遊びに行きたいなら遊びに行かせればいい。その子がうちに遊びに来たければ、来てもらえばいいんだ」

 親父は、おふくろにそう言うと、僕の方を振り向いて一言、こう言いました。「いいか、泰彦、人間の財産は金じゃないぞ、人だ。泰彦、人を大切にするんだぞ」。僕はまだ、子どもだったから、親父の言葉の意味がよく分かりませんでした。

 しかし、大人になるに連れて、その言葉の意味が分かるようになったとき、僕は心から、親父を尊敬しました。僕は、大人になってからも、この芸能界に入ってからも、親父の言う通り、人を財産とし出会った人たちを大切にしてきました。そのおかげで、僕は今、とても幸せな人間関係の中にいます。多くの人に愛されて、支えられて、今の僕があるのです。僕の人生にとって、一番大切なことを教えてくれた親父に、心から感謝しています。」

http://blog.chiisana.org/?day=20070314


偏見・差別というものは
誰でも持っているものだし、
いやなものはいやだと思う。
(まず、それが誰の心の中にも存在するものだ!という前提から
入らないといけないけど)


それを先ほどの「神棚の話」と同じに
棚上げするもんだから、
話の本筋が見えてこない
気がする。


先ほどの投稿にも結論として

知的障害者は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。

しかしそのハンデが言い訳になるような社会のままでは差別もなくならない。

とあるが、
これこそ言い得ている気がする。



「性」の問題を
茶化してばかりで
正面から見ようとしない、その事。

他人に
特に障害者に対して特別な対応しかしてこなかった
その事。


誰にでも当てはまる問題なのに
ちゃんと「おはなし」することが出来ず、
茶化すことしか出来ないこの国の風土というのも
問題だと思う。