the way of life
さて、
前回(いつの?)の続きになります。
一般的な職業観についての論考を
ここしばらくは、ダベッテ逝きたいと思います。
人はなぜ働くのか、
と言うことに関して
わたくしめは日曜日に教会に行くクリスチャンですので
- 作者: 山崎龍一
- 出版社/メーカー: いのちのことば社
- 発売日: 2004/12
- メディア: 新書
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先日「プロ倫」の話をしましたが、
そのように明確に仕事をする目的が有ればいいのですが、
そうでない場合
なにを目的として仕事をするのでしょう?
と言う疑問を最近持っています。
- 仕事が好きだから仕事をする
- お金儲けのために仕方なく仕事をする
- 「してあげている」と言う実感を持つため
その仕事が好きなので、採算度外視でやっています
と言う方(がいればその方)はそれでいいでしょう。
ただ、
1-1.「趣味が仕事になる」なんて
普通は、世の中そんなに甘くないわけです。
趣味というのは自分の楽しみのためにやるから趣味であって
それを世の中一般に通用するための変換作業をしなければいけないと思いましたし、
そうでないから「勘違い」をされた人の当人はおろか、周りの家族が苦労する、という場面が
よく巷を賑わすのかな、と思ったり。
「趣味が仕事になる」ためには
趣味を超越した、もの凄い苦労と努力、こだわりの他に
市場のニーズに有っているかという要素が必要になってくるとおもいます。
これは、たまたま時代が自分に合っているなら問題は無いのでしょうが*1
そうでなければ市場のニーズに合わす必要があるわけです。
(市場のニーズにあわせて仕事が出来るのなら、それはそれでどんな仕事でも、立派に起業家として大成できる要素ではありますよね)
「趣味を生かした仕事」ということなら、
この点はもっとクリアーできるとは思いますが。
1-2.仕事が趣味になる
そういう展開もあるかもしれません。
その職種がたまたま自分に向いていた
もしくは自分が望んだ職種だった、などで
しかし、それは
仕事に打ち込んだのはいいけど
それに振り回される可能性もあります。
「濡れ落ち葉」などと揶揄される最近の中高年というのは
それに近いか
もしくはそれを理由に仕事を隠れ蓑にしていたかのどちらかなのではないでしょうか。
ですのであまり「仕事にはまりすぎる」と
仕事場以外での自分の居場所が無くなってしまう可能性があります。*2
問題は2の「お金儲けのために仕事をする」の方かもしれません。